チームラボが『超主観空間』と呼ぶコンセプトの基つくられたアニメーション作品。 「自然と文明の、衝突、循環、共生」をテーマにした絵物語の12幅からなる作品。 剥落し(作品の表面が剥がれ落ち)、作品の裏側が見えていきます。
制作プロセス
チームラボは、平面的だとされる伝統的な日本の美術には、西洋の遠近法とは違った、空間の論理構造があると考えている。本作品はその考え(我々はそれを「超主観空間」と呼んでいる)の基、まず、物語を仮想の3次元空間上に立体的に構築し、その3次元空間を、チームラボが考える日本の伝統的な空間認識の論理構造によって、日本美術的なアニメーションにしている。 そして、作品の表面を剥がし、作品の制作プロセスにある3次元空間を見せている。
モチーフ
神話の時代をモチーフにし、「自然と文明の、衝突、循環、共生」をテーマにした絵物語。
※作品に出てくる竜のようなものは、ヤマタノオロチ。ヤマタノオロチは、『日本書紀』、『古事記』など日本神話に登場する伝説の生物。8つの頭と8本の尾を持ち、目はホオズキのように真っ赤で、背中には苔や木が生え、腹は血でただれ、8つの谷、8つの峰にまたがるほど巨大とされている。オロチの腹が血でただれているのは、砂鉄(あるいは鉱毒)で川が濁った様子を表しているとする説もある。また、たたら吹き(製鉄)には大量の木炭を必要とするため、川の上流の木が伐採しつくされた結果洪水が起きた事を象徴しているともされる。
コンセプト
チームラボが『超主観空間』と呼ぶコンセプトでつくられた一連アニメーション作品の一つである「花と屍」の表面を剥がすことによって、作品の制作プロセスにある3次元空間を見せている。
コンピュータでは、3次元の物体の形状を、網目状の線の構造で記述された抽象的で高次の情報で表現する。つまり、3次元で描かれているものは、その表面を剥ぐと、網目状の線の集合でできている。本作品は、表面を剥ぎ、制作プロセスを垣間見せることによって、一つ目は、『超主観空間』のコンセプトをより強く表現している。そして、二つ目は、情報社会という今日の新しい社会においても、文化の本質的な部分は連続するために、多くの新しく生まれてきたことが、前の社会から連続してきたもののように一見すると見える。けれども、そのような一見連続的に見える事柄も、その裏側にある構築方法は、全く違う概念とテクノロジーによって構築されている。つまり、連続的に生まれてくることも、実は、その作り方、方法論は、全く違っている、ということを示唆している。
物語
1:花と屍 十二幅対 都と貴族
栄華極まる都。光源氏は、きらびやかな色彩の中で、生活を送っていた。
2:花と屍 十二幅対 繁栄と厄災
都で、厄病が流行る。厄病の原因を探るため、光源氏は厄病を辿って、都の外へと旅立つ。
3:花と屍 十二幅対 山の民と祭
厄病を辿ると、山の村へ行き着いた。村では自然の恵みを祝い、祭りが行われていた。
4:花と屍 十二幅対 森と日常
祭りが終わり、日常に戻った村では、厄病の影響を受けながらも、人々は、果敢に生きていた。人々は木々を切り文明を発展させ、また様々な自然の恩恵を受けながら、豊かに暮らしていた。
5:花と屍 十二幅対 神木とヤマタノオロチ
山の村は、都でのさらなる発展のために多くの材木を依頼され、山の奥深くの巨木を切り倒すことになった。巨木を切り倒すと、突如、そこからヤマタノオロチが現れる。ヤマタノオロチは怒り狂い、大雨を降らして洪水を起こす。
6:花と屍 十二幅対 ヤマタノオロチと森の神々
山の村の家々をなぎ倒し、暴れまわるヤマタノオロチに続き、森の神々がやってきて、次々と人々を襲い始める。
7:花と屍 十二幅対 戦場と兵器
山の村は、武士に依頼し、山の村に武士の集団がやってくる。武士達と、ヤマタノオロチや森の神々との戦いがはじまる。
8:花と屍 十二幅対 勝利と破壊
武士達は、火矢など、文明を駆使し、激戦の末、武士の集団が勝利を収める。
9:花と屍 十二幅対 荒野と飢え
後に残ったのは、燃え尽きた森の残骸。山の村は自然の恩恵を失い、飢えを予期し絶望する。
10:花と屍 十二幅対 花と屍
光源氏は、ヤマタノオロチや森の神々の屍に囲まれ呆然とする。困った光源氏は、ヤマタノオロチの屍に、種をまいてみる。そうすると、屍から、芽が出て、みるみる花々が咲いていく。その花々は、樹木に成長し、森が作られていく。
11:花と屍 十二幅対 森と祭
山の民たちは、森の恩恵をまた受けることができるようになり、文明を発展させながらも、森と共に生きていく決意をし、山の村では、また祭りが行われる。
12:花と屍 十二幅対 都と祭
都では厄病が少し落ち着き、原因はよくわからないままだが、めでたいということで祭りが行われる。